2016年7月18日月曜日


第4回京都語用論コロキアム(Kyoto Pragmatics Colloquium)

「動的語用論(Dynamic Pragmatics)の構築へ向けて」


 

「第4回京都語用論コロキアム(Kyoto Pragmatics Colloquium: KPC) --動的語用論(Dynamic Pragmatics)の構築へ向けて」(京都工芸繊維大学・田中廣明研究室主催)を、第1回目、第2回目、第3回目と同じく、京都工芸繊維大学で、来る925日(日)に開催いたします。今回も、「動的語用論の構築へ向けて」と題し、「コミュニケーションのダイナミズム:常態からの逸脱」をテーマに掲げたいと思います。第一部では「変化・発達・創発」をキーワードにして3つの研究発表を、第二部で「伝達的コミュニケーション観の問題」を中心に、それぞれの講師に切り込んでいただきます。

第一部では、尾谷昌則氏(法政大学)、深田智氏(京都工芸繊維大学)、山口征孝氏(神戸市外国語大学)による研究発表を行います。第二部では、特別講演に定延利之先生(神戸大学)をお迎えし、「発話の権利から見た伝達論的コミュニケーション観の問題」と題して、特別講演を行っていただきます。
 

今回の第4回京都語用論コロキアムの開催が、我が国の言語研究に一石を投じられたらという願いで開催したいと思います。ふるってご参加ください。

 

日時:2016年9月25日(日)1:20p.m.~6:30 p.m.

場所:京都工芸繊維大学(松ヶ崎キャンパス)60周年記念館1階記念ホール




最寄り駅から松ヶ崎キャンパスへの案内 http://www.kit.ac.jp/uni_index/matsugasaki/


 

受付:1:00 p.m.

趣旨説明:1:20p.m.1:30 p.m.

「講師紹介&コミュニケーションのダイナミズム:常態からの逸脱」:田中廣明(京都工芸繊維大学)

 

第一部 1:30 p.m.4:20 p.m.「コミュケーションのダイナミズム:常態からの逸脱:変化・発達・創発」 

【研究発表】

1.尾谷昌則(法政大学)1:30 p.m.2:20 p.m.

「『なので』と『なのに』の接続詞化に関する一考察」

 

2. 深田智(京都工芸繊維大学)2:30 p.m.3:20 p.m. 

「うごきで応える?ことばで応える?:指導者の言葉と子どもの言語的・非言語的反応のダイナミズムを発達的な観点から考える」

 

3.山口征孝(神戸市外国語大学)3:30 p.m.4:20pm.

「複雑系科学から見た相互作用分析-共同構築発話の事例-」

 

第二部4:30 p.m.6:30 p.m. 「コミュケーションのダイナミズム:伝達的コミュニケーション観の問題」 .

特別講演:4:30 p.m.~6:30 p.m.

定延利之先生(神戸大学)

「発話の権利から見た伝達論的コミュニケーション観の問題」


連絡先:田中廣明(京都工芸繊維大学)

  〒606-8585 京都市左京区松ヶ崎橋上町 京都工芸繊維大学

  Tel. 075-724-7252(田中廣明研究室直通)Email: htanaka@kit.ac.jp

参加費は無料。事前登録必要なし。

終了後、懇親会5,000円(場所は未定。懇親会参加希望者は田中廣明まで上記メール宛先にご連絡をいただけたら)

 

世話人兼発起人:田中廣明(京都工芸繊維大学)・岡本雅史(立命館大学)・小山哲春(京都ノートルダム女子大学)・木本幸憲(名古屋大学PD)・西田光一(下関市立大学)・五十嵐海理(龍谷大学)

 

発表要旨


「『なので』と『なのに』の接続詞化に関する一考察」

尾谷昌則(法政大学)

理由を表す接続助詞の「〜ので」が、「なので」という形で接続詞化し、2000年頃からその使用に関して騒がれ始めた。しかし、その発生は大正期にまで遡ることができる。本発表では、その発生と使用拡大の背景について、文法的・語用論的な視点から概観する。また、類似する変化を辿った表現として、逆接の接続助詞「〜のに」があるため、こちらとの比較も行う。「のに」は「〜した筈だのに」と終止形に接続していたが、「それだのに」を経て、「だのに」から「なのに」へと接続詞化した。こちらについても、文法的・語用論的な視点から概観し、「なので」との共通点について考える。

 

「うごきで応える?ことばで応える?:指導者の言葉と子どもの言語的・非言語的反応のダイナミズムを発達的な観点から考える」

深田智(京都工芸繊維大学)

本発表では、「表現」教育*の場面での指導者と子どものやりとりを発達的な観点から分析する。発表者は、平成26年度より、認知的インタラクションデザイン学*A02班連携研究者の1人して、保育園の園児による「表現」教育の場面のデータを収集し、子供=大人インタラクションの認知科学的分析とモデル化を行ってきている。データの収集は現在も続いており、園児も2歳児から5歳児までと幅広い。本発表では、その中の一部、平成26年度の時点で2歳児クラスに属していた子どもの計3回のデータをもとにした分析結果を報告する。分析の焦点となるのは、言語発達、運動発達、社会性の発達の3つの発達の相互関係である。保育の専門家でもある指導者は、子どもの発達段階を考慮した上で、言語的・非言語的なツールを用いて指導を行っている。その指導に、子どもたちは、どう応えているのか?ことばで応えているのか、うごきで応えているのか?ことばで応えているのなら、そのことばは、子どもたちの社会性の発達を示す敬体なのか、それとも常体なのか?うごきで応えているのなら、そのうごきは、指導者が意図したようなうごきなのか、それとも、それとは異なる子ども自身の無意識のうごきでしかないのか?・・・これらの検討を踏まえ、「ことば―うごき―こころ」の協調的発達のダイナミズムを子どもたちの成長にそって見ていきたい。

*「表現」:幼稚園教育要領、保育所保育指針のいずれにおいても、「言葉」とともに「表現」は教育内容の1つとして取り上げられている。幼稚園・保育園でのリトミックやリズム遊び、リズム運動等は身体「表現」に相当する活動であるが、そこには指導者と子どもの「言葉」でのやりとりも入ってくる。本発表では、言葉での表現と身体での表現の双方を重視する視座から分析を行う。

*認知的インタラクションデザイン学:http://www.cognitive-interaction-design.org/参照。

 

 

「複雑系科学から見た相互作用分析-共同構築発話の事例-」

山口征孝(神戸市外国語大学)

本発表の目的は複雑系科学の観点から相互作用の分析を行うことである。理論的には、場の理論における「共創」(清水2000)という考え方と複雑系科学における「自己組織化」(self-organization)に注目する(Larsen-Freeman and Cameron 2008)。経験的には、共同構築発話(Hiroaki Tanaka 2015)に焦点をあてる。事例として井出(2016)及び藤井(2016)から採られたミスター・オーコパスのデータの一部を考察する。そうすることで、共創の過程で起こる「相互ひき込み現象」は自己組織化の一種であることを論じる。この現象を自然会話から例証するため、テレビ番組『サワ子の朝』から収録された会話(Hiroaki Tanaka 2015)における共同構築発話(joint utterances)を共創過程における相互引き込み現象として分析する。今後の課題として、学際的アプローチにより反証証可能な仮説の提出をすることが場の理論を含む複雑系科学を志向する語用論者に求められることであると提起する。

主要参考文献

井出祥子 (2016)「グローバル社会へのウェルフェア・リングイスティックスとしての場の語用論―解放的語用論への挑戦―. 『社会言語科学』18(2): 3-18

清水博(2000 「共創と場所」 清水博・久米是志・三輪敬之・三宅美博(編) 『場と共創』 NTT出版.

藤井洋子(2016)「日本人のコミュニケーションにおける自己観と「場」-課題達成談話と人称詞転用の分析より―.」 藤井洋子・井出祥子(編)『コミュニケーションのダイナミズム』 ひつじ書房.

Hanks, William F. (2016). Basho: A theory of communicative interaction. Paper presented at The Third International Workshop on Linguistics of BA. Waseda University, Tokyo, Japan.

Larsen-Freeman, Diane, & Cameron, Lynne. (2008). Complex systems and applied linguistics. Oxford: Oxford University Press.

Tanaka, Hiroaki. (2015). Emergent explicature in conversation: What people take to be explicated by a prior utterance. Paper presented at the 14th IPrA Conference, Antwerp, Belgium.

 

「発話の権利から見た伝達論的コミュニケーション観の問題」

定延利之(神戸大学)

コミュニケーションを情報の伝え合いとする考えは言語研究ではしばしば自明視されるが、周辺領域では以前から問題視されている。本講演では、我々にとって身近な現代日本語共通語の日常的なコミュニケーションを題材に、特定の発話が会話参加者のうち一部の者だけにゆるされた特権的な発話であるという現象をもとに、伝達論的なコミュニケーションを批判的に検討する。「車が動かないのは、運転手がアクセルと間違えてブレーキを踏んでいるからだ」と発見した運転手自身は「あ、ブレーキ踏んでた」と言えるが、同じことを発見した後部座席の子供は、運転手の足を指さして「あ、ブレーキ踏んでる」とは言えても「あ、ブレーキ踏んでた」とは言いにくい、といった事例の考察を通して、情報伝達という枠組みから漏れ落ちる発話の性質に光を当てたい。